飛騨の匠の歴史と文化(4)

家具の輸出

昭和10年アメリカより来日していた家具バイヤーは飛騨産業の高い技術に着目し、大量の椅子を発注します。西海岸より来ていたそのバイヤーは丈夫で長持ちするコロニアルスタイルの椅子を持ち込みました。今まで作製した事のないカタチに当時の技術陣は奮起し、新しいロクロ切削器を開発し、大量生産体制を整えました。このロクロ機は現在でも使用されていますが、一部の機械がミズノのバット工場に送られイチローや松井のバットを削りだしています。



ロクロ切削機

航空機の試作

第2次大戦の末期、軍部は当社に木製航空機の製作を命じます。社名も高山航空工業と変え、完全な軍需体制に取り込まれてゆきます。以前より木製の補助燃料タンクを製作していた事もあり、ようやく試作を完成させましたが、終戦を迎え本格生産には移行しませんでした。戦後は桶や松葉杖など生活に密着したものも造り復興を支えました。


輸出の再開と国内販売の開始

戦後輸出が再開され、ウインザーチェアを中心に1960年には総生産の87%を輸出し、輸出貢献企業として総理大臣賞をいただいております。日本の高度成長や国際経済の変化に対応して国内販売にも力を注いでいましたが、昭和48年のオイルショック以降全面的に国内販売に転換しました。住環境の変化やディスカバーJAPANなどによる飛騨高山ブームも後押しし、順調に業績は伸び飛騨の家具のリーディングカンパニーとしての地位を築き上げたのです。




世界に向けて飛騨の匠の技術と日本の美を発信

現在当社では2001年より品質・生産性の向上を計るべく業務改革に取り組んでおります。生産におきましても2003年6月より受注生産体制を整えるなど、より早くお客様のご意見を反映すべく改善を進めております。商品におきましても、今まで使われなかった節をデザインに取り込んだ「森のことば」や家具用材としては不向きといわれる杉を主材とする「wavok」など、環境に配慮された借り物ではない日本の美しさを表現したモノ造りに取り組んでいます。さらに、イタリアデザイン界の巨匠「エンツォ・マーリ」氏とデザイン契約をし、日本の美を世界に向けて発信すべくモノ造りを行い、2005年のイタリア・ミラノサローネにてまったく新しい「HIDA」ブランドを発表いたしました。
気もちのいい家具造りに邁進する飛騨産業にご注目ください。


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